戦国の秘(まるひ)大作戦

其の4 戦国の秘(まるひ)大作戦
大八は、「片倉久米介」と名前を変えて育てられました。
このころ、京都で「真田大八7歳の時に京都で亡くなったのだ」というフシギなうわさが流れました。
このうわさは、片倉重綱や伊達正宗がながしたものだと思われています。
大八が亡くなったことにすれば、片倉久米介(本当は真田大八)を育てやすくなるからです。
その後、大人になった片倉久米介(本当は真田大八)は「真田守信」と名乗りました。
このころ、片倉重綱や伊達正宗は、にせの家系図を作り上げます。
その家系図には、「真田守信は、幸村公のおじさんの孫」と書かれました。これで、守信が真田大八じゃないかと疑われても大丈夫!!

今も蔵王町には仙台真田氏にまつわる史跡が残っていて、歴史とかは何かと苦手な私でしたが、この物語を読んでいるうちにだんだんと歴史は奥深くおもしろいなぁと思いました。このあと3話続きますので、みなさんよんでくださいね<m(__)m>
山水苑日記 | 2010.11.27 17:09
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