四方峠
宮城県蔵王町、村田町、川崎町にまたがる四方峠は、かつて四方坂と呼ばれていた。江戸時代の地誌に「四面皆坂道の如し、故に四方峠という」との記述があります。峠の頂からその面影を眺めることができる。
南側を中心に視界が開け、東に太平洋、西に蔵王連峰が見渡せる。この峠に至る街道の一つが蔵王町宮に始まる羽前街道だ。仙台市長町を起点に山形に至る笹谷街道と、川崎町前川で合流する。延長約20�舛涼擦こ稿擦世�、欧州街道と羽州街道を結ぶ笹谷海道の一部として見ると幹線の機能も担っていた。
四方峠は、古くは鎌倉幕府の史書「吾妻鏡」に登場する。源頼朝が平泉の奥州藤原氏を攻めた奥州合戦(1189年)で街道沿いの峠一帯が戦場になった。七回に及ぶ激戦の末、平泉軍敗北。やがて奥州藤原氏は滅び、頼朝は鎌倉に幕府を開いた。蔵王町教委文化財保護係長の佐藤洋一さんは「鎌倉時代前の」平安時代には、羽前街道の原型ができていた可能性が強い」と説明する。
峠の蔵王側ふもとには平安後期に付いたとみられる地名が今も残る。
根無藤(ねなしふじ)。一戦場(いっせんば)。前九年の役(1051〜62)と奥州合戦に由来があるという。
1994年、地元平沢の住民らで「旧羽前街道保存協議会」を設立し
95年からは、大名行列を再現する「旧羽前街道道中まつり」を散策路を舞台に行っています。
平安の昔に開かれた街道を散策されてはいかがですか。





