社会的身分

社会的身分

横浜が暑く夏になってくると一年に一度だけ、天の川を渡り織姫と彦星が会う「七夕」がやってきた。その「七夕」にちなみ、三十回目の「七夕会」が三ツ沢小学校で行われた。「学校と家庭と地域の絆と連携を考える」をモットーに、歴代の校長先生方及びPTA会長、又現役の学校関係者を交えた懇親会である。会の閉めは恒例の「星影のワルツ」を皆で唄い、児童が面倒みている「せせらぎ緑道ホタルの里」を訪れ、「小さな命」と「一燈照隅」の心を大事にしようと心の短冊に願いをこめた。

さて、今「大分県教員採用汚職」不信の波紋を全国に広げつつある。県は不正採用された教員を解雇するというが、落ちた人は救済するようだが、去る教員も新たに採用され教員となる人も、又児童、親御さんも何かやりきれなく心の傷は一生いえないだろう。本来なら教員になってもおかしくない努力した人を、ほんの数人の権力者によって不採用してしまう。こんな事は全国的に"コネ""口利き"等々ありそうだろうが「公平」って何だろう?少なくても私の経験してきたスポーツの世界にはこれはないと思いたい。強いか弱いか、速いか遅いか、上手か下手かそこには運もある事だろうが、誰が見ても一目瞭然、力のないものは脱落し、センスと努力に秀でた者が報われる。"コネ"や"マニュアル"よりスポーツマンシップでしょう。

このところ「教師の質が悪くなった」と言われる由縁は結構こんな所に原因があるのかも。「教員の子は教員になっている事が多い」と聞けば中小企業の社長、代議士、医者等の世襲もうなずける。有名な話し「ミズノ」「ホンダ」は息子を後継者にしなかった。

子供達の人生を指導する立場にある教師が「聖職」である事を忘れている。私の妹三人も教員をしていたが、教師が給料分だけで出世の妨げになる事は一切しない、いわゆる時間から時間の労働者に成り下がっている。教師は子供に対し身をもって教える姿勢が必要だ。

二人の娘がお世話になった当時担任のA先生は、子供たちと正面を向き合い権力、地位を求めず、本当に人としての道を求める姿そこにあり、限りない人情の優しさ、美しさ、人の喜びの為に働く尊さを教えてくれた。そんな先生も生涯一教師として娘を送り出して頂き、静かに定年を迎えられた。もちろん「七夕会」には出席しておられなかった・・・。
山水苑日記 | 2008.07.25 10:07

コメントリスト

  • ヨシダさん

    大分の件では驚きましたねー。点数を誤魔化すなんて。しかも教育の世界で!その上他でも有りそうだと!
    戦後60年以上経過し社会のあらゆる面において2代目、3代目の循環が成立し、子に既得権を引き渡そうとする親と、地位の引継ぎと、親の七光りに頼り、利用しようとする者達で溢れかえっている今の日本の社会ではないでしょうか。政治の世界では2、3代目ばかりが目に付き、居並べばまるで学芸会の子供たちの舞台を見ているようです。それが当選して出てるんだというのが根本の問題だと思うのですが。(混沌とした状態からは本当に光り輝く者しか出て来られないのです)。芸能、家元制、実業界然り。本物でなくても持ち上げられやって行けるんですね。スポーツのような実力が歴然と明らかになってしまう世界では、有り得ない話ですわね。ですのでそう言う事が可能な分野はいい加減な仕事なんだと言われてもしょうがないのように思います。世襲制の世界で活躍していても所詮は、虚構の世界で、長い目で見ればその世界は衰退する運命に有るでしょう。私は、だれそれの子供だからという事でやって行けるような分野には全く興味が持てません。個人的な商売等をを継いで行くのは別として。一流の芸人と思っていたのにちゃっかり自分の配偶者や、子供を引っ張り出していたりすると正体が見えた気がしてしまい幻滅です。私は日本の情けない閉塞状況は、2,3代目の政治屋が幅を利かせていることに有ると思っているのですが・・
    蔵王は涼しそうだなー

    2008.07.26 10:03
  • 管理事務所からさん

    心のつぶやきをゆっくりと聴く快適な蔵王より
    都会の喧騒と厳しい暑さで連日、30℃を超す猛暑の中ご活躍中の皆様本当にご苦労様です。
    当地蔵王では首都圏との気温差5℃、小鳥のさえずりに目を覚まし、ちょっと贅沢かもしれないが誠に毎日気持ちの良い静かな朝を迎えている。つくづく自然の中に身をまかす。素晴らしい事だと実感しています。
    どうです?ヨシダさん、ゆっくりとした時の流れに浸ってみたらいかがですか。一寸このところ、地震が頻繁におきて心配ですが・・。ただ日本中どこに居てもおこる事ですしもし大都会での発生の場合、パニックとなり実際の地震被害よりその群集心理の方が人をあらぬ方向へ誘導しそうで怖いように思います。
    ヨシダさんより「戦後60年・・」の下りがありましたが、どうも日本が戦争に負け終戦と同時に日本人が、戦前のものを全て放棄し、忘れた事で今が始まった。自由と権利の主張ばかりで、結局利己主義的になり「自利利他の精神」もなく、拝金主義がまかり通り経済優先の価値感偏差値優先の価値観が蔓延し、人の気持ちも荒み殺伐とした世の中になった。親の持つ特権や経済力が子供の世代への「世襲」となり機会不公平につながり「格差社会」に拍車をかけ先行不透明な経済、混迷混沌の時代、社会全体をおおう「閉塞感」の中で暮らざるを得ない。
    都会ならいざしらず自然豊かで近所付き合いもあり、伝統、文化の息づく田舎でも住民の心の閉塞感は、中央のそれの伝染なのか?我慢しながら、一つの目標に向い共同生活を送る「教育」が必要か?「社会的身分」も「個人の努力」で得るもの「努力の報われる社会」になって欲しい。又「教育勅語」でもひもとくか・・。

    2008.07.27 11:49
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